元小学校教員のわこです。
休職をしているみなさん。
また、これから病休や休職をとるか悩んでいるみなさん。
仕事を休むことを
「恥」
だと思っていませんか?
「恥」とまではいかなくても、
「後ろめたい」「負い目がある」「コンプレックスである」
などの気持ちがないでしょうか?
それ、一昔前の私のことやん!
休職中の自分を人に見られたくなかったな~
そう。私は休職中の初期、
仕事を休んでいる自分を、
まさに「恥」だと思っていました。
(まあ、しばらくするとその思い込みは
間違いだと気づいたのですが。)
なので、仕事を休む自分を「恥ずかしい人間」だと
思ってしまう心理も、よく分かります。
今回の記事は、昔の私のように
休職を「恥」だととらえ、悩んでいる方に
読んでいただけたらうれしいです。
海外では、あまり興味を持たれない「仕事や肩書き」
私には海外在住の友達や知り合いが、10人ほどいます。
私自身は海外に行ったことはないのですが、
不思議とグローバルな人間関係に恵まれています。
そんな彼らと話をすると、日本では
日本人特有の「世間体の縛り」があることに気づきます。

海外に住む友人たちは、会話で
「何の仕事をしているの?」
などと、相手の仕事・職種を尋ねることは
あまりありません。
「なぜ私の職業を聞かないの?」
と尋ねたことがあるのですが、みな一様に
あなたが何に興味があり、何が好きなのかは知りたい。
でも、収入を得る手段には興味はないわ。
「仕事=あなた」ではないもの。
と言うのです。
海外に住む人の多くは、
仕事=ただの収入を得る手段
という風にとらえているんですね。
では、日本ではどうでしょうか?
「仕事=大多数の常識」に縛られる日本の現実

おそらく日本では、仕事はこのように
意味づけられているのではないでしょうか。
- 大多数の常識
- 生きがい
- しなければならないもの
- その人の価値を決めるもの
- 社会の一人前と証明するもの
このような風潮がある社会で、私たちは日々生活しているので、
「仕事をしない」、または「仕事を休む」という選択肢を
初めから除外しているような気がします。
それがいつのまにか、
「仕事をしない=怠け、さぼり、恥、悪」
などといったマイナスイメージを作られたのかもしれません。
では、本当に仕事を休むことは恥なのでしょうか?
仕事を休むことには、必ず意味がある

病休や休職を選択せざるを得ない方には、
必ず何かしらの理由があるはずです。
病気、休養、転勤、介護、子育て、家庭の事情・・・など。
「ただ単に、しばらくゆっくり休みたい!」も
立派な理由の1つになりますよね。
意味があって、そのために仕事を休む選択をする。
これは、積極的休養(積極的休暇)の1つであり、
人生における前向きな選択です。
なので、「恥」ではないし、「悪」でもありません。
「感情の境界線」を作り、相手と自分を分けよう

周りの人は、仕事を休んでいるあなたを見て、直接
「仕事休むのは恥ですね」
「病休は悪ですね」
とは言いません。
たとえ相手が心の中で、いろいろ思うことはあったとしても、
それは、休職中の私たちには関係の無い感情です。
相手と自分の間に、「感情の境界線」を作りましょう。
人は人、自分は自分。
私たちはちゃんと意味があって仕事を休んでいるのですから、
堂々と過ごしましょう。
周りの目を気にして「休職は恥」だと思い込んでいるのは、
案外、自分自身なのかもしれませんよ。
心のブロックを外して、ひとつ鎧を脱いでみませんか?
休むのは前向きな選択である。