元小学校教員のわこです。
私は40代で、公立小学校の教員を早期退職しました。
このブログを読んでくださっている方は、私が退職したいきさつや理由は、大体ご存じですかと思います。

読者の方の中には、
「わこさんの場合はわかったけど、他の人はどうしてるんだろ・・・?」
「40代で退職した他の人の事例が、もっと知りたい!」
という方もいらっしゃるようです。
なので、今回の記事は、
40代で教員を早期退職した人たち
と題してお送りしたいと思います。
ここで登場する人たちは、架空の人物ではありません(笑)
全員、実際に私が知っている人、知り合い、紹介してもらった人です。
なぜ40代で早期退職することを選んだのか、参考にしてもらえればと思います。
陶芸への夢を追って、憧れの窯元へ弟子入り

Aさんは、私と同じ勤務校の教員でした。
児童にとても優しくて、トラブルめいたことも全くなく、毎日穏やかな授業をされていました。
ある年度の内示の日。
Aさんが早期退職されることが発表され、職員室内は騒然!
だって、問題ごともなく、辞めるそぶりなど全くなかったのですから。
当然、周りの先生たちはAさんに詰め寄りますよね。
「なんでなんで?」「どうして辞めるの?」
Aさんは笑いながら、丁寧にこう話してくれました。
陶芸家になりたいんです。
人生の折り返し地点を迎え、人生の後半は「夢」を追うことを選びました。
隣県の窯元へ弟子入りします。
当時20代だった私は、目が点!(笑)
大変失礼ながら、
なんて勝手な心配をしていたのを覚えています。
そのAさん。宣言通り窯元に弟子入りされ、今では有田焼の陶芸家として活躍されているんです!
毎年5月の有田陶器市では、作品を出品されていて、生き生きと仕事をされています。
40代からの挑戦って、苦労もたくさんあったと思うんです。
でも夢を追うパワーって、年齢関係ないんだなと尊敬します!
今ある子どもの環境を第一に考えて

Bさんは、教員でありながら私が受け持った児童の保護者でした。
同じ教員同士ということもあり、私的でも仲良くさせていただきました。
年度末が近づいた頃、Bさんが早期退職する旨をこっそり話してくれました。
私が住む県では、「20年間同一市内に勤務すると、かならず市外へ転勤する決まり」があります。
(現在は20年→15年に変更になっています)
Bさんはちょうど同一市内を20年間満了した時期でした。
そのままいくと、市外へ転勤することになります。
でも中学生と高校生のお子さんを一緒に連れて行くか?
決断に相当悩まれたと勝手に思ったのですが、結論は意外とあっさり出たそうです。
私ね、教員という仕事を理由に、自分の子どもには絶対迷惑をかけないと決めていたのよ。
子どもを転校させたくないし、置いていきたくもないから、私が専業主婦になることにしたの。
それまでのキャリアをあっさりと手放し、40代で専業主婦になられました。
仕事より、子育てへの想いがはるかに上で、そんな自分に誇りを持っていて。
すごくかっこいいなと思わせてくれたBさんでした。
自然と向き合うため、農家の道へ

Cさんは、理科専科の男性教員でした。
昆虫や植物にとても詳しくて、何を聞いても優しく教えてくれる先生でした。
放課後も理科室にこもって、実験や観察に没頭。
すごく理科が好きだったんでしょうね。
そんなCさんが辞められると聞いた時は、不思議とみんな納得する雰囲気がありました。
なんとなくCさんは自分の好きな道を歩みそうな感じだったんです。
離任式での挨拶で、こんな話を子どもたちにされました。
私は、自然が大好きです。
植物、昆虫、月や太陽、地球を愛しています。
そんな自然と共に生きる人生を選びました。
私は農家になって、みなさんに喜ばれる野菜を作ります。
まっすぐ前を向いて笑顔で挨拶をするCさん。
そのきらきらした姿に、私はすごく感動したのを覚えています。
これからの不安を考えるよりも、未来に希望を抱いてわくわくしている姿に。
現在は、ご実家の畑や田んぼを受け継がれ、毎日農作業に精を出されていますよ。
40代なんて人生はこれから!

今回は、3人の元先生方の事例をご紹介しました。
みなさんに共通して言えることは、
そう、40代だからなんて考えずに、好きな道を選んでいるんですよね。
もちろん、年齢がネックになってしまう場面もたくさんあったことでしょう。
教員を退職したことで、困ったこともあったかもしれません。
でも、自分が決めて選んだ道だからこそ、生き生きされているんですよね。
私はこのような人生の先輩方を間近で拝見して、すごく幸せ者だなあと感じます。
ぜひ見習いたいです!
皆さんのご参考にもなれば幸いです。
人生いろいろ。幸せもいろいろ。